前回の続きの前に、この「勝星ブログ」の由来たる「このブログを読んだ皆様に勝星が来るよう祈念する」の具体的な意味をご説明したいと思います。
ブログの名前の由来とは
「ブログ主の波乱万丈を聞いたところで、勝星やラッキーがくるんかい?」と思われるはずです。要するに「分水嶺(ぶんすいれい)を知ってもらう」ということなんです。
柔らかく言うと「潮目」。カチっとした言い方だと「分岐点」、つまりあなた様の人生の分かれ道、Y字路でどこに行くか、右か左か、はたまたしばらく立ち止まるのか。
どちらにしてもあなた様に選択権はあって、自分自身で勝星を引き付けることができる!ということをこのブログでお伝えしたいのです!
私どもが行っている「琉球四柱推命の鑑定」は、イレギュラーな事だと思っています。人は皆、例外なくなんらかのカルマを今世に持ち込んでおり、ほとんどの方がそのカルマを知らず、この世を去っていきます。
そんな中、私ども琉球四柱推命の鑑定士はメッセンジャーとして出会った相談者にカルマや不和周期をお伝えしています。私がイレギュラーと表現しているのは、
「本来、知りえないことを伝える」
ということなんです。私の主観ですが、神様から「君ら鑑定士は伝えていいよ。」と許可を得ていると思います。
さらに言うと、私ども鑑定士と出会うことがあるごく一部の相談者は稀な存在だと信じます。そういうご縁やチャンスを持った人々ということです。
長くなりましたが、これが勝星ブログで皆様がご自分の「勝星」を得ますようにとの意味です。
私が警察を辞めるきっかけとは
さて、前回の続きに入ります。私が警察を辞めるきっかけは、沢山ありました(笑)
一番は私が家族第一主義だからです。
28歳のときに憧れの刑事の一歩手前、生活安全課の課員として専務にあがりました。専務とはそれを専門にするという由来から専務と呼びます。
このときの生活安全課が本当に忙しい時期に突入で、今とは比較になりません。DV法が施行、ストーカー規制法施行、警察相談の受理が始まり、従来の銃刀法(今は暴対にいってるのかな)、薬物取締(これも組織対策にいったのかな)、パチンコ屋管内10件の許認可(警察官同士の会話でパチンコ屋10件許認可持ってると言うとバク転するくらいの業務過多です)。
めちゃめちゃ忙しいのに事件も、いーっぱい舞い込みました。この年の事件扱いで一度は本土の新聞に載る犯人も逮捕したし、裁判に呼ばれ(笑)某新聞社に叩かれる事件も扱いました。この裁判は私が正しかったので、某新聞社の某支社長が署長に謝りにきていました(笑)
叩いてすいませんと。
実はまさにこの時、私は不和周期に入っていたので私のせいで他の同僚も忙しさに巻き込まれていたと言っても過言ではありません。不和周期カルマはそんなチカラもあります。
自宅に午後10時に帰ると妻が「どうしたの?こんなに早く帰れて。何かいいことあったの?」という状況で午前様は普通でした。そんな中、2歳の娘は私が帰宅するまで寝ないんですよ。
真夜中、起こさないように静かに帰宅すると、娘が「おとーたん」と迎えるんです。この瞬間、「あ、だめだ。この仕事続けてたら家庭を保てない」と思い辞める決断をしました。
簡単にやめる決断と書きましたが、それまで思慮深く辞めることを考えていたので決断にいたったということです。
転職時期は悪かったけど、命が助かった話
琉球四柱推命を勉強し始めたとき、八島先生にこの警察を辞め転職をした年を深堀してもらいました。まさに不和周期中の不和年で、人生で一番ヤバイ年でした。
つまり、辞職転職なんてもってのほかだったのです。確かに転職後はホントに生きるか死ぬかの地獄を味わいました。しかし、私の場合はさらにこの不和年が深い意味を持っていました。
八島先生に「先生はこの時期、私が転職しようか相談に来たらどうアドバイスしますか?」と質問すると「もちろん不和年なので止めます」とお答えになりました。
私は「そうですよね。失敗したなー。その年警察本部の捜査一課に移動になっていたのですが、上司に『来年はお前、検視係だからな』と言われてたんですよ。」と話すと
先生は「ちょっと待ってください、あ!長峰さん、翌年検視係と言いましたね。いやー、もし警察に残っていたら生命の危険がありましたね。亡くなった人の魂にひっぱられて命を失っていた可能性が高いです」と言われました。
自殺者をよく検視するのですが、自殺された方の魂は自分が死んでいるとは思ってないらしいんです。それで生きている身近な人を死に引き込む場合があると。
その状況で不和周期・不和年だとかなりの確率で私は生命を失っていた可能性が高かったのです。検視係は年間数百体検視しますからね。
つまり、自分自身が「生き続ける」という最低ラインは守った決断が「辞職転職」だったのです。今考えてもゾッとします。
私ども琉球四柱推命鑑定士が相談者から、深くお話を聞く必要があるのもご理解いただけたかと思います。
警察退職後がもっと地獄だった話
私のいばらの道は、警察退職後も続きました。というより更に厳しい、恐ろしい道に足を踏み入れました。
29歳の不和周期・不和年に軍雇用員に転職しました。どこの基地とか、部署は現在も働いている方々がいますので伏せますが何があったか一言で表現すると「人間の性(さが)」との闘いでした。
1.暇(ひま)が生む人間の性
2.他人に不躾に干渉し根も葉もない噂をする人がいた
3.既得権益化した軍雇用員という立場が生む「怠け」と「倫理観の欠如」
4.給与を支払い雇用責任がある日本の防衛局が一切内部の差別やハラスメントに介入できない
などなど。
まさか、自分が「敗戦国側の人間」として悔しい思いをするとは想像していませんでした。
続きは次回で!最後まで読んでいただいてありがとうございます!