琉球四柱推命 長峰鑑定所 勝星ブログVol.2

それでは今回は、琉球四柱推命の八島先生との出会いと初めての鑑定を受けた内容を語って行きたいと思います。
私の元部下の知人に誘われ「鑑定を受けるのと、琉球四柱推命の受講についてお伺いする」という二つの目的のため糸満市にある八島先生の鑑定所に馳せ参じたのです。

実は私は自分の誕生時間を知らなかったのですが、鑑定所に向かいながら妻から「へその緒の箱があったよ!」と連絡があったのです。私が誕生時間に言及していて妻が引っ越しの際の記憶から探し出してくれたのです。こんなラッキーもあるなんて、導かれているなーと嬉しく思いました。

八島先生の鑑定所は、昭和の雰囲気と新しい国道331号線バイパスのエリアが交わる場所で、第一印象は落ち着いた静かな地域だなという感じでした。
既に知人が鑑定を受けていて、途中で私がお邪魔する状態でしたが、八島先生は快く受け入れてくれました。 

私は知人の鑑定の様子を興味深く聞きながら、自分の番が来るのを心が高揚しながら待っていました。この瞬間、なにかポジティブな気持ちで満たされていくのが分かりました。まさに未知の領域に入っていく瞬間でした。

私の誕生年月日時を伝え、先生から「ああ、水 水 水 ですねー」と言われきょとんとしていると、私の命式には水元素が多く「直観力」が強いというのが表れていたのです。
なるほど、これまで直観力重視であった私は自分自身を理解していたんだなと分かりました。更に2016年から財運に恵まれておりドンピシャでした。

不和周期や不和年の説明を受け、道理で20代後半から40代後半まで苦しかった意味が分かりました。
私は不和周期が2回、つまり20年間の長い暗いトンネルがあったのです。

そして最大の収穫は私の通変に「印綬・偏印」があるという事実だったのです。私は組織人でもなく、ビジネスマンでもなく、宗教家や教師に向いているのが前世から元々備わっている「魂」だと教えていただいたのです。

これまでの人生の苦悩が、これからの光の道に変わった瞬間でした。
私はこれまで携わった仕事では、なんでも「ある程度はこなす」自信はあり、結果も出してきました。でも必ず大きなトラブルに巻き込まれ、「生きるか死ぬか」の瀬戸際を痛感し、沢山の火の粉が降ってくるなか、それでも他人から相談事が多く舞い込む状況でした。 

当時は先祖の祟りか何かだろうと腹をくくり、「私で全部受け止めるので、頼むから子供たちや孫へは行かないでくれ!」と半ば怒りながら祈り続けていました。

しかし、八島先生からのご説明を受け、
全ては「自分自身が今世に持ち込んだカルマなのだ」 と強烈に理解できたのです。全ての辻褄が合い、答え合わせが出来た瞬間でした。

私がこの強烈な答え合わせが出来たのも、何人かのユタさんやカミンチュさんにお会いして人生の答え合わせを探っていたからです。まさにスピリチュアル探求のゴールを得た訳です。
八島先生の鑑定を受ける前に、私の仏壇事をあるカミンチュさんに相談する機会があり、その時「長峰さんの前世は森の奥深くで修行していた神主さんですね」と言われました。そして八島先生からも「長峰さんは深い森の奥の住職さんでしたね」と言われたのです。とても腑に落ちる瞬間でした。「住職がサラリーマンは出来ないよな」と納得した次第です。

そんなこんなで、八島先生に最後の質問を投げました。
「先生、私は琉球四柱推命の鑑定士に向いていますか」と。

先生は丁寧に
「向いてますよ。水元素が多く、直観力があり学んでいけると思います。ぴったりじゃないですか。」 と答えてくれました。そして私は琉球四柱推命の鑑定士をめざすことを即決したのです。

続きはまた次回で! 最後までお読みになっていただきありがとうございます。

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