阪神大震災の神戸に派遣
もう30年も経つんですね。30年前の今日、私は県内南部の某署で勤務していました。
夜間、交通取り締まり中に職務質問した男性が千葉県警から指名手配されていることが分かり、逮捕しました。夜中、逮捕手続きを作成している最中にテレビの緊急ニュースで阪神大震災の事を知りました。今でも覚えています。報告される死者の数がどんどん増えて行ったことを。
その二週間後に第二機動隊員として、神戸に震災派遣されました。
キレイな神戸の街が、とんでもないことになっていたのを記憶しています。
理由は良く分からないのですが、なぜか右翼の街宣車が沢山走行していました。それより
多くの警察車両がパトロールしていました。「日本人は災害時も冷静に行動している」と
報道でよく言いますが、実際は…ヤバイとだけ表現しておきましょう。全国から警察官を集める理由があるってことでお察しください。
その震災派遣で私は危うく命を落とすところでした。交通監視が終わって大阪に向かっていたところ、中年夫婦が私たち沖縄県警の車列を止めました。私は先頭車両だったので下車して「どうしました?」と尋ねました。すると
「この家におじいちゃんが残っているかもしれないんです」
と今にも倒壊しそうな木造三階建ての建物を指さしました。私は意を決して
「分かりました!」
とその建物に入ろうとした瞬間、後方から制服の襟を引っ張られ
「長峰!本部に報告してからだろ!」
と運転手の同僚に怒鳴られ引き戻されました。なんだこの野郎と思った瞬間、
「ガシャーン!!」
とその建物が崩れたのです。本当に一瞬の出来事でした。土煙が舞い上がり、私は恐怖で振るえました。中にいたら間違いなく即死でした。
その中年のご夫婦は、崩れた建物を見てそそくさと立ち去って行きました。
あの時、私の命を救ってくれた「森さん(もちろん仮名)」、本当にありがとうございました(笑)。まだ現役で頑張っておられると聞いています。彼が私の首根っこを引っ張ったときは瞬時にむかつきましたが(笑)、彼は命の恩人です。感謝しています。
毎年1月17日が近づくと、指名手配犯人を逮捕した夜と震災派遣で危機一髪だったことを思い出します。
震災で亡くなられた魂は、今年あたりからあの世に旅立たれます。ご冥福をお祈りいたします。
そしてあの時、私は命を救われた分、琉球四柱推命とトートタロットを通し世の悩める善人のために尽くしていくと改めて誓います。